ベンジャミン・グレアムの名言・経歴・書籍まとめ

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ベンジャミン・グレアム

米国の経済学者。バリュー投資理論の考案者。

「投資家の父」「ウォール・ストリートの最長老」と呼ばる。

ウォーレン・バフェットの師。

バフェットはコロンビア大学でのグレアムの教え子の中で唯一A+をもらった生徒である。

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ベンジャミン・グレアム関連書籍

ベンジャミン・グレアム名言

このような銘柄(中企業、ベンチャー企業など)のうち、あるものは素晴らしい買物となる。しかしそれは(上場時などに起こる急騰から)2~3年たって誰からも見向きもされなくなったとき、その真価の何分の一かの値段で入手できる場合である。
一株当たり純資産(BPS=株主資本÷発行済み株式数)に裏付けられた株式ポートフォリオを有する投資家は、収益と有形資産双方に対して何倍もの金額を支払った人よりも、株式相場の変動を気にせずに超然としていられる。
過去50年以上にわたる経験と市場観察によればテクニカル・アプローチによって、長期にわたり利益を上げた者などひとりもいない。
過去57年間を振り返れば、世界を揺るがすような時代の浮き沈みや悲惨な出来事にもかかわらず、堅実な投資原則に従えば概して手堅い結果を得られるという事実は、常に変わることがなかった。
株を買うのは市場が低迷している状況に限定すべきだろうか。売るのは株が循環的に上がった時なのか。そうすればタイミングと価格が合致する。だがこうした投資方針が実際に上手くいくかどうかは事前にはわからない。歴史を振り返ればこうした運用方針が中々難しい事が分かる。
株式ポートフォリオは数年単位でみた場合、価格変動の波を免れることはほとんど不可能である。投資家はこうした可能性を理解し財政的にも心理的にも備えておかねばならない。
基本的に真の投資家にとって株価変動の持つ重大な意味はひとつしかない。相場が急落すれば抜け目なく株を買い付け、急騰すれば 売却するチャンスなのだ。
現在の収益と目先の見通しは悪くても将来の状態を冷静に評価すると、現在の価格よりもはるかに高い価値を示すことがある。以上のことから市場が低迷している時期にこそ勇気を持つことがいかに賢明かということが経験だけではなく、信頼できる価値分析法によっても証明できる。
個人投資家にできないことはプロのゲームでプロに勝つこと。自分のゲームで自分にコントロールできることで勝てば良いのだ。
事業の評判が重要になるほど、将来の収益力が重要な要素になるほど、事業の本来の価値は不確かになり、その株式は投機的になる。
自分でうまく銘柄選びができるのは、ほんの数パーセントの投資家にすぎない。もしかしたら、みんながインデックスファンドの力を借りるのが理想なのかもしれない。
証券会社のアナリストは株式市場の動向を調べ、水晶球を見つめ、細かな数字の計算をしたり、スポンサー付きの旅に出る以前に基本的な責務(顧客を儲けさせる仕事)を果たすべきである。
上昇相場の終焉を示す確かな兆候のひとつとして、得体の知れない小企業の株式が、株式市場において長い歴史を持つ中堅企業の株価よりも高値で売り出されることが挙げられる。
数学は通常、正確で信頼できる答えを出すと考えられている。しかし、株式市場では、数式が複雑で難解なほどそれによる答えは不確かになり、投機的になる。数式によって、投機に投資であるかのような装いを与える結果になる。
早く利益を出したい投機家にとって、売買タイミングは重要な問題である。しかし、投資家にとっては利益が出るまでじっくり待つということは格別問題ではない。タイミングは投資家にとってそれほど重要ではない。重要なのはタイミングと価格の関係だ。
大半の投資家は個別銘柄など選ぶ必要などない。銘柄選びをしてみようという人のほとんどが、思っていたほどうまくできないことを悟らされる。運のいい人は早くからそのことに気づいているが、運の悪い人は気づくまでに何年もかかる。
投機家の関心事は、株価の変動を予測して利益を得ることである。 投資家の関心事は、適切な証券を適切な価格で取得し保有することである。
投資で成功するカギは自分自身に内在する。
投資家とは、自分の持ち株を高値のときに愚かで哀れな投機家に売り、株価が下落したところで彼らから買い戻すという、経験豊かで機敏な人々だと定義できる。
本当の投資家であれば、自分が群衆とはまったく逆の売買をしていると考えることに充足感を覚えるものなのである。
銘柄選択に関してわれわれが強調してきたアドバイスは「除外」すること。つまり、そうとわかるほど質の劣った銘柄を「除外」し、また優良銘柄であっても株価が高く投機色が強いものは「除外」せよということである。
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